白血病に負けないおじさん

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<<   作成日時 : 2006/11/22 22:43   >>

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 最近日本人は社会的なことに「憤怒」することがなくなったようだ。政治的や経済的な問題に対しての怒りがなく、むしろ日常的な場で、肩が少し当たったといっては激怒し、傷害事件になったりするケースが目立つ。
 「義憤」と言う言葉もほとんど聞かなくなった。かつては政治家たちが「義憤」の代表的な存在であったのが、今ではその対象になってしまった。もの言わぬ大衆がふえてきたのか、それとも言ったところで何ら解決されないと諦めてしまい、口を閉じているのであろうか。義憤が死語になりつつある社会は良いのか悪いのか後の歴史が答えてくれる。
 
 「どんな可能性も尽きた空間で、人物が待っているのは、もうどんな可能性でもありえない」(宇野那一)状況に置かれたとき、心に去来するのは何であろうか。
 「可能性の空間の中で、特定の可能性に沿い、特定の可能性を避ける。そういう仕方で、行為を選択」(鷲田精一)しているのであり、日常生活では無意識のうちにこのことを行っているのだが、{可能性の尽きた空間}でも人は待つことだけは出来るのである。
 
 初めての治療のとき、体を少し動かすのも辛い状態の下で、未来の扉は閉じられ、「可能性の尽きた空間」状態だった私にできたのはただ「祈る」ことだけだった。{「祈り」はあくまで、待つことの一つの形であって、「神様」への要求ではない}(鷲田)。
 「祈っている人は、その祈りに対する答えに関しては、自分自身まったく解らないものであるとかんがえている」(マルセル)ような状態だった。ただひたすら祈る。何に何を祈ったのか分からずただひたすら祈っていたようだ。

 身近にあるものが生きる力を与えてくれるものだ。次の桜が咲くまで生きていたいとか、もう一度あの仏像を拝むまで死ねないなどというありきたりのことが、案外生きる原動力になるものだ。
 
 今日は疲れが取れてきたようだ。明日は一日中眠る予定。

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